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  • 執筆者の写真ヤス@BUNKAIWA

Netflix『デアデビル』を観てモヤったこと。ハリウッドで描かれる外国風(foreignness)演出を批判【考察】


Netflixオリジナルシリーズ・デアデビルのポスター

Netflix制作のオリジナルテレビドラマ・デアデビル。

物語は、マーベルコミックのキャラクターの一人である、盲目のスーパーヒーローの誕生と、NY・ヘルズキッチンを舞台に巻き起こる犯罪事件を描いたアクションドラマ作品となっています。


デアデビルファンにはもちろんのこと、マーベルシネマティックユニバースが好きな人にとっても、MCU他作品に出ているキャラのサイドストーリーが覗けるなど、見どころが満載のドラマ…なのですが!わたしには一つ、とってもモヤることが…!!!


それは、日本のヤクザキャラクター役の役者さん達の日本語のシーンに対して思うこと、そして、そこから派生して感じるハリウッドでの東アジア人キャラの扱われ方への複雑な気持ち。


そこでこの記事では、『デアデビル』を観て思った、文化の切り取られ方について、個人的に感じたことを考察にまとめてみました。


デアデビルに登場する日本人ヤクザ役に感じる圧倒的に軽い『言葉の重み』

シーズン1からシーズン2に掛けて、デアデビルが対峙する悪役に日本のヤクザキャラクター(むしろヤクザ組織)が登場します。


しかしながら、このドラマに登場する日本語セリフのあるヤクザ役の俳優さん達の日本語は、ほぼ、日本語話者からみると日本語を話さない人による、ただセリフを読んだだけのものだということがすぐに気づきます。


ドラマを制作した側から見れば、日本語話者の視聴者は、世界中の全視聴者数に比較しても、たった数%で大したことがないのでしょう。それに、同じように日本語話者ではない東アジア系俳優さんによる日本人役は、このドラマに限らず様々な作品で拝見することはありますし、何もこのドラマだけに限った特別なことではありません。


ただ、物語の中で重要な役を担うヤクザボスキャラの俳優さんをはじめ、日本語でのセリフの出番があるほとんどのヤクザ役の役者さんが、限りなく英語に近いイントネーションで日本語のセリフを無理して話している。正直、なんと言っているか全然通じない。そんな感じの場面が至る所に見受けられることに、だんだんと嫌な気持ちに。


初めは、この違和感・不快感の原因が言語化出来ずにいたのですが、回を追ってシリーズを観ていくうちに気づいたことがありました。


キャスティングで注視されることが、東アジア系に限っては見た目重視?

シーズン2の中盤に差し掛かった頃、あるエピソードで、ヤクザ一味の一人の白人女性キャラクターが流暢な日本語を話すシーンがありました。

デアデビルを観てきた中で、明らかな日本語話者以外で、一番発音が日本語に近い人!ちゃんと、言葉の内容を理解した上で、セリフを発している。それがヤクザ一味の白人女性でした。


これを見た瞬間、思ったのです。


ひょっとして、この女性は「日本語をもともと話せる」ことを理由にキャスティングされたのではないか?ということ。

そうすると、浮かんでくる、「では、他の日本語が話せない俳優さん達は何が基準で採用されているの?」という疑問。


アジア系の容姿でなんとなく日本語のセリフを話している。それで十分だと判断されてる、そんな『外国風』の描写に対して、わたしは大きな苛立ちを感じたのでした。



ハリウッドで描かれる外国人キャラクターの言葉は適当?

わたしは日本語話者なので日本人キャラクターの描写に対してしか分からないものの、色々調べてみたら、スペイン語や中国語、韓国語など他言語を話すキャラクターの描写においても、同様のことが起きているようです。特に東アジア圏の役では、役とは異なる民族・言語背景の役者がキャスティングされてるケースはとても多いそうな。


流暢に日本語を話せる人しか日本語話者役にキャスティングしないで!という訳では決してなく、むしろアクセントがあっても全然問題ない。ただ、なぜ、話せない人に無理矢理ややこしいセリフを話させるのか?なぜ、脚本を変えて、英語をネイティブ並みに話せるヤクザキャラ設定じゃダメなのか?役者の言語能力に合わせて「お前がどうのこうの」と長々しいセリフでなく、シンプルで短いけれど伝わるブロークンジャパニーズのセリフを当てがうのではダメなのか?そもそも日本語話者の役者を優先的に選ぶことは出来なかったのか?


そこに対して、ハリウッドの、『なんとなくその国・文化っぽい』雰囲気を作りたい演出への期待 (foreignness)と、その結果、蔑ろにされた他文化への尊重の意識がひどく見え隠れしているように思えてしまったのでした。


東アジア人に持たれているステレオタイプはハリウッドに今も健在

最近、ハリウッド映画で描写される東アジア背景の強気な女性キャラクターに対して、ビビッドな差し色やカラフルな黒髪以外の髪型設定が起きているのがステレオタイピングではないか?という論争が散見しました。

黒髪は、東アジア人女性がもともと持たれているステレオタイプである「大人しい」「静か」「真面目」といった印象が強いため、反逆精神のあるキャラクターに対しては黒髪以外の髪色で…というのが、昨今のハリウッド作品に描写されるアジア人女性キャラの容姿設定としてよく登場しているものだったようで、そこに対して批判が起きました。


しかし、東アジア人女性当事者として思うことは「本当に余計なお世話」…という思い。スタイリッシュでイケてたり、普通にかわいいな、良いなと思うヘアスタイルに対して、勝手に他人がいちいち人種とセットでイメージや偏見を意味付けしないでくれ、という気持ちのオンパレード。


正直なところ、キャラクター作りの行程で、パンクな印象を持たせたいキャラには真っ赤な髪色、とか、静かな真面目キャラを黒髪ストレートにしようが、どうでもいい。表現芸術の延長として、髪を染めるという行為も、髪色や髪形がどのような印象を人に与えるのかを考慮してキャラの外見設定をすることはアジア人キャラに限らずどのキャラにも共通する、自然なことだと思うのです。


それが東アジア人になった途端に、わざわざ何かしらの意味付けが発生する。そこに対して、そのような注目の仕方をすること自体がステレオタイピングじゃないのか?と。


わたしと同じように感じた当事者の中には、各作品に登場するアジア人が少なすぎて、一人二人の少数キャラが、必要以上に彼らの人種や民族を代表するような象徴になってしまっているのではないか、とハリウッド映画におけるアジア人キャストの圧倒的少なさを指摘する方もいて、とても頷いてしまいました。事実、日本のドラマ・映画作品でキャラクターがどんな髪色をしてようと、人種のステレオタイプに思うことはまず無いのがその証拠でしょう。

結局のところ…

ハリウッド業界は、西洋文化圏出身の白人が中心となって発展してきた業界のため、いくら様々な境遇の、異なる文化・民族背景を持つ主人公によるストーリーが作られようとも、製作側に当事者視点が意識されない限り、簡単に価値観がマジョリティ側に飲まれてしまうのだと思います。


特に日本や韓国、中国などの東アジア圏は、西洋とは大きく違う存在として、外国風がハイライトされる場面がとても多いです。そこに対して、ただ単に雰囲気を演出したいがために東アジア人役者を民族・言語背景を一切考慮せずにキャスティングし『それ風』のセリフをしゃべらせ外国風演出を作りたいだけなのか、それとも、文化の文脈を汲み取りキャラクターを忠実に演出するための一環として非英語圏のセリフを役者に気持ちを込めて語らせるのか。この違いは、一見同じように見えて、雲泥の差ほど異なる意味合いを持ちます。


残念ながら、わたしが見る限り、このNetflixのデアデビルは、製作陣に、日本のヤクザ役に対して、大したレスペクトが無い様子が伝わる作品でした。


主人公デアデビル役の俳優チャーリー・コックスが、盲目の人を演じる上での役作りを素晴らしく評価されたのを考えると、他文化に対して配慮がおざなりに見えたことがとても残念でなりません。


これからのハリウッドがどう変わっていくのか。いずれは髪型のステレオタイプ論など話題にならないぐらいアジア人キャストの出番が増え、文化の切り取られ方が見世物のようにならないぐらい自然になっていくこと、その変化を作る一つの声になれたらと、引き続き、メディアの中での文化の描かれ方に注目し、時には批判の記事を書いていきたいと思います。


少し批判的な記事になりましたが、皆さんはどう感じたでしょうか?


クロスカルチャーコンサルタント・BUNKAIWA

 

参考:




2件のコメント

2 Comments


aljapino210
Nov 03, 2022

デアデビルを観ていて感じたこのモヤモヤをどうにかしたいと思いつつこの記事に辿り着きました。作品の展開は申し分ない、と思っていたのですが、ヤクザ関係のシーンになって日本人「風」の演技を見ていると途端に作品がお粗末なものに感じられてしまいました。 ここ最近のMCUのキャスティングや性に関する描写を見ると幾許か多様性が意識されているように感じましたが、その中で人種というものが記号として際立って描かれるのであれば、その振る舞いや言動に現れる意味、ニュアンスに脚本家が自覚的でなければならないと思います。

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ヤス@BUNKAIWA
ヤス@BUNKAIWA
Nov 04, 2022
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コメントありがとうございます。同感です。特に、人種構成や多様なロールモデルづくりの配慮が意識的にされている中でのキャスティングだからこそ、なおさら民族的な部分への描写がいまいち詰められていない「風」になっているところにちょっとがっくし来てしまいましたね。まだまだ発展途上なのだろうなと感じると共に、このようなことを自分も無意識的にしていないか振り返りを忘れないでいたいなと感じました。

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