みなさん、こんにちは!
しばらくご無沙汰しております。
昨年末から今年前半にかけてかなりの忙しさが続き、ブログの更新が滞っていました。今年後半は、自分の生活リズムを整える意味でも、もう少しまめに更新したい!と目標を立てております。
それはさておき、今回の記事では、わたしが最近よく聞かれるなと感じている質問の一つ、「カウンセラーは、セラピーに通うの?」という疑問について、読者の皆さんの中にも気になっている方もいるのではないかと思い、わたし自身のメンタルヘルスへの見解や意見を交えながら、この質問に答えてみたいと思います。
わたしはセラピーに通っています
この質問にそのまま答えると、わたし自身、セラピーに通っています。
大学院で心理療法を学び始めたのと同時にセラピーに通い始め、そこから、休憩期間を設けたりセラピストを変えたりなどはありましたが、4年ほど前からは、週一ペースでずっと同じセラピストのところに通っています。
そもそも、アメリカの心理学の大学院プログラムでは、セラピーを受けることを教育の一環も兼ねて生徒に積極的に推奨していたり、学校内のカウンセリングサービスが無料で提供されていたりするなど、かなりセラピーを受けやすいシステムが整っています。
わたしの場合は、留学初期にぶち当たった文化の問題や、英語非ネイティブで外国人である自分がアメリカで心理士になることへの不安がとても強くあったのもあり、初めは、アメリカで活躍されている日本人のセラピストさんのところに通っていました。
その後も、卒業後の研修先が、訓練生にはセラピーを受けることを求めるところだったのもあり、むしろ職業的に必須事項のような感覚で続けていました。
今は、自分の好きな理論・アプローチを得意にしているアジア系アメリカ人のセラピストさんのところで、人生のこと、社会のこと、アジア系文化出身者や女性特有の悩み、仕事の相談、理論のマニアックな話など、その時その時で好き勝手にいろんなことを話しています。
セラピーは心の筋トレを行うジムのような場所
心理カウンセリング・セラピーと一言に言っても、さまざまなアプローチがあり、セラピストによっては、問題一点集中解決型の方もいれば、わたしやわたしのセラピストのように、その時その時で人生の中で起こるいろんなことを振り返りながら自身への洞察力や理解度を高めていくようなアプローチをとる人もいます。
そのため、一概に、「セラピーとは」と言い切ることは難しいのですが、自分の中では、セラピーは、筋トレのジムに通う感覚にとても近くて、ストレスや過去の傷への自己治癒力を高めるために通う場所と説明するのが一番しっくりくるのかなと感じています。
そこには、自分の説明することや経験している気持ちに対して、セラピストが共感してくれたり、思ったことを率直に伝えてくれたり、状況に説明がつくような解釈をくれたりするような相手と自分の関係性が導く反復作業が必要で、それが、今まで自分の気づかなかったことを気づかせてくれるきっかけになったり、心の柔軟性やストレスへの弾力性を高めるために必要となってくる自己理解の機会を設けてくれたりするように思います。
なので、ある程度の基礎体力の付け方やトレーニング方法が分かったら、あとは自分で何とかできるかな、とジムを退会するようにセラピーをやめる方もいれば、わたしのように、何かあってもなくても、定期的に通う場所があることが好きでセラピーに通い続ける人もいます。
『セラピー』に持たれているネガティブなイメージはどこから?
もちろん、わたしの職業がセラピーに対するイメージに大きな影響を与えていることは否めないものの、「セラピーに通っている」と話した時に、「え、セラピストなのに…?」と驚いた反応をされることは少なくはなく、それだけ、「セラピー」に対して、ある一定の偏見やネガティブなイメージというものが世間には浸透しているのを肌で感じます。
「セラピー」という言葉に対して、実際に受けてみて感じることと、世間の持つイメージとのギャップを考えた時に思うこと。
そこには、人の悩みや心に抱える葛藤に関しての理解、もしくはそれへの対処法が、【健康】と【非健康、もしくは病気的】の2種類に分けられた、とても限定的な見方になっているからなのではないだろうかと思う時があります。
この見方をする場合、セラピーという言葉に対して、「何か悪いことを治すために行く」すなわち、「自分に何か問題がある」という見方が出来るかと思うのです。
しかしながら、実際には、身体に出来た悪い腫瘍を治療したり切除したりするような外科治療とは違い、心の問題はどちらかというと、自分のその時に置かれた環境であったり、生きていく上で習得していった考え方の癖であったりと、環境や状況、関わる相手との対人関係の影響を受けた延長線上に起きていることがほとんどで、自分を社会に生きる一員として文脈的に診ていく必要があるものだと感じています。
そのため、病気かそうでないかでくっきり分けられるような診療とは考え方が似て非なる部分もありますし、そう考えると、いくらストレスへの対処力や知識があるからといってストレスや悩みとは全く無縁の人生が送れる、という風には、なりにくいのではないでしょうか。
医療的診療モデルから社会モデルに
心理療法の分野は、今まで、精神的な不調を持つ人に対して、彼ら自身に「病理がある(pathological)」という見方をしながら、症状を元に診断を下し、治療の方針を決めていく、というやり方が一般的でした。それは、上記に述べたような外科治療的考え方に近くて、いわゆる『身体特徴的(バイオ)モデル』『医療的診療モデル』と呼ばれています。
しかし、最近では、構造的に何重にも複雑な問題を抱える社会に生きる一員として、社会で経験する様々な問題が個人に与えている影響力を無視できないという意味で、『社会的モデル』いわゆる、個人に病理の原因を求めない (non-pathological) 視点からの治療の取り組みが広がっています。
それは例えば、うつ症状で休職中の人に対して、その個人にうつ病になりやすい原因があったと推測して治療していくのとは違い、なぜ、その人がうつ症状を持つに至ったのか、その人に何があったのか、背景にあるその人の働き方や労働環境、経済状況、社会における立場、体質、家族との様子や過去のトラウマなどを探りながら、その症状が起きていくに至った過程を多角的に理解しながら、そこに対処できるような治療を見つけていくアプローチに近いです。
個人に病理的原因があると仮定する『医療的診療モデル』の見方ではなく、このような『社会モデル』の見方を広げてみると、心に不調があることや、それをどう受け止めて対策を取っていけばいいのか、その延長にあるセラピーへの認識も変わってくるのではないかと感じます。
おわりに
「心理カウンセラーはセラピーに通うのか?」という質問を起点に、わたしが感じているセラピーへのスティグマや偏見、そして、それをどう変えていく必要があるのか、自身の見解を書いてみました。この『社会モデル』については、また別の機会に詳しくブログ記事で紹介してみようと考えています。
もちろん、セラピーへの通いやすさについて、適切な訓練を受けた心理療法士に誰にでも比較的にアクセスがしやすいアメリカに比べて、日本ではシステム的な面からもセラピーに通うことに大きな抵抗を感じている方は多いかと思います。
ただ、この記事が、皆さんのセラピーに対する考え方に、新たな視点を加えるきっかけに出来たら幸いです。
吉澤やすの・BUNKAIWA
参照:
メアリー・ボイル&ルーシー・ジョンストン著
この記事で説明している『社会モデル』を説明している本。臨床心理に関わる人が参考にすべき、【パワー:脅威:意味】からその人の精神的葛藤を理解していくフレームワークが提案されています。そこには、スティグマ的な病理前提の診断を当たり前としていた従来の精神医療への疑問と批判が書かれていて読んでいてとても嬉しくなります。
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