top of page
ブログ: Blog2
  • 執筆者の写真ヤス@BUNKAIWA

企業のアンガーマネジメント研修がなぜ負担に!?従業員の心の問題は組織の問題【SNSでの反響を受けて】



皆さん、こんにちは。

先日にSNSに投稿したコメントに対して、びっくりすることにとても大きな反響を頂きました。


”たまにアンガーマネジメントを習いたい、と相談される方がいるのだが、よくよく話を聞くと「それは怒って当然では…」というシチュエーションの場合が多く、さらにもっと話聞くと会社の上層部達が自分たちのマネジメント力の無さを棚に上げて部下の心の問題にすり替えてる場合も結構見受けられる…。”

”職場でうつ病などで休職者が2名以上出てるようなところは、上司や会社全体のマネジメント力の無さを真っ先に疑った方がいいのではないか。大元の原因として、仕事配分の悪さだったり、サポートを仰ぎにくかったりバーンアウトの起きやすい悪環境がそこにあることは少なくないと感じてる。”

この投稿(少し表現・言葉尻を変えています)は、最近増えている企業のアンガーマネジメント研修に呼応するコメントであり、この内容に対して反響と共に様々なご意見を頂きました。その中には、ビジネス現場で使われるアンガーマネジメントが実際にどういうものなのかを教えてくださるものや、わたしの投稿がアンガーマネジメントへの誤解を招く点があったことを指摘してくださるものもありました。

そのため、この記事では、改めてわたしのSNS投稿の意図と、その背景にあるわたしが問題だと感じている点、そして反響を頂いて感じたことをまとめてみたいと思います。

尚、当該投稿内容とこの記事は、アンガーマネジメントを否定するものでは決してなく、従業員研修にアンガーマネジメントが取り入れられる背景にある文脈に対しての意見となっております。アンガーマネジメントとは、後述でも説明していますが、怒りを抑え込むためのトレーニングではなく、怒りをどう処理し社会的に適切な対応へと変えていけるかを目指す心理介入方法の一つです。


アンガーマネジメント研修を取り入れている企業が増えていることに対して思うこと

SNSへの投稿の背景には、最近の日本の若い人たちから、職場でのアンガーマネジメントについての相談が増えたことがあります。


アメリカでアンガーマネジメントというと、もともとは、キレやすい人など、怒りを衝動的に社会的に望まない行動に移してしまう傾向を持つ方が自分の気持ちとの向き合い方と適切なコミュニケーション方法を学ぶために受けるクラス、といったイメージが強く、事実、犯罪加害者や裁判所の命令を受けた方がアンガーマネジメントクラスを受ける場合がとても多いです。


そのため、日本の、どちらかというと穏やかな印象の子たちの口からアンガーマネジメントが出てくるのは初めはちょっとびっくりしたのも事実です(ですが、『怒りとの適切な付き合い方』という視点でアンガーマネジメントがビジネスの場面で紹介されていることが増えていると知り納得しました。)


しかしながら、わたしは、日本の従業員研修で紹介されるアンガーマネジメントの受け取られ方が、必ずしも、怒りとの適切な付き合い方を紹介するツールとして認識さているわけではないような印象を感じています。

なぜなら、アンガーマネジメントの講習を受けた人たちの中で、怒りを感じて当然のやりとりがあったシチュエーションにおいて「怒りを全く感じなくなるようにするにはどうすればいいか?」とか「憤りやストレスを感じる自分は問題があるのでは?」といった点に悩みを抱え、困惑し、アドバイスを求めている人がとても多かったからです。

わたしはそこに、アンガーマネジメントという名目の元、『怒り』を抑え込むことを求めるような圧力や、『怒り』を抱える個人に自己責任を求めるニュアンスが含まれているような気がし、それがとても気になりました。そして、その指摘が、あの一連の投稿となって発信するに至った背景にあります。


職場での『怒り』は、組織の歪みから起きている

アンガーマネジメントでは、怒りの気持ちから衝動的に行動をしてしまわないよう、立ち止まって冷静になる時間を設け、状況整理を行い、そして相手に的確に問題を伝えるためのアサーティブネス含む適切なコミュニケーションを行っていくことを目指します。ビジネスのシーンでは、社内のコミュニケーションをオープンに円滑化することを目的に、アンガーマネジメントのコンセプトが取り入れられているようです。


しかしながら、多くの人がアンガーマネジメントを自分が感じる怒りの気持ちを過少化し、その場をやり過ごすためのツールと解釈せざるを得ず、相談にくる実情。

そこにあるのは、従業員(特に部下側)が自分の当然の権利を相手に伝えることすら許されていない職場環境があるのではないかという疑問。

実際、年功序列制度が強く残る日本では、たとえ不適切であっても上司の意見を絶対的に聞かなければならないような状況はとても多いと思いますし、「お客様は神様」の精神をモットーにしている場所では理不尽が生まれやすい環境があると思います。アメリカでも、ワンマン的なボスがいる職場やオールドスクール的な先輩後輩風の強い会社など偏った意見が散見する会社の従業員はバーンアウトしてしまう人が結構います。

上司への教育と、組織の風通しを良くし、従業員の誰の意見であっても、必要な意見は積極的に受け入れ組織としての改善を目指すことが見込めない限り、いくら従業員にアンガーマネジメントを行っても、職場で誰かが感じる『怒り』はきっと消化されることはないし、根本的な問題の解決は望めないと思います。むしろ、やり場の無い怒りの原因を自分に求め、その負担に苦しんでしまう方もいるでしょう。

そもそも、パワハラがある職場では、まず最初にパワハラの加害者や上層部が中心にアンガーマネジメントの講習を受けるようにするなどして、上司・部下の力関係を和らげて相互コミュニケーションが円滑に出来る土台を作っていく必要があると思います。パワハラ加害が報告された方には、講習を通じて自分の加害性や問題点を認識する機会も必要だと思います。

もし、従業員全体にアンガーマネジメントを求めるならば、組織自体が従業員たちが必要とするコミュニケーションを適切に行える環境やサポート体制を実現出来ているのか、そこをまず自省する必要があると思います。なぜなら、内省的な従業員は自分が出来ることを深く模索し自己責任化する一方で、加害的な従業員はそれを責任転嫁してしまえる状況が出来てしまうからです。


現状では、しっかりしたサポート体制が出来ていないまま、問題解決を従業員個人の感情抑圧に求めて社員同士の衝突を静めようとしている企業がとても多いのだと感じています。そして、その企業の理想に対し個人にのし掛かる負担の大きさのギャップを作り出している。それが、投稿に共感してくださる方達の多さからも改めて実感しています。


アンガーマネジメントのゴールの一つ【相手に自分の権利をしっかり伝えること】の出来る土台は職場に存在するか

人は昔から共同体で生きてきた生き物であり、対人関係の問題にとても大きなストレスを感じます。

怒りの気持ちとの向き合い方、そして同じ組織内で働く者同士のコミュニケーションを円滑にするための訓練はもちろん大切です、が…、


  1. どこまでが自分が我慢するべき範囲であり、相手に自分の権利を主張していい範囲なのかが分かりにくい場合。

  2. 自分の意見を適切に伝える方法でコミュニケーションを図ったとしても、それがどこまで改善につながるかが不明な場合。むしろ相手の受け取り方が未熟なために自分が面倒くさい状況に巻き込まれる可能性がある場合。

この2点の懸念に対するサポートが明確でない職場では、アンガーマネジメントを従業員に行ったとしても、それが従業員にとって、怒りを抑圧することを推奨するような逆効果を引き起こしてしまう可能性があると思います。

アンガーマネジメントは、自分との気持ちの付き合い方や適切なコミュニケーションを学ぶのにとても役立つ知識です。しかし、相手を尊重し自分も尊重される対等な関係性が築きにくい職場で、理想のコミュニケーションのあり方を説明されても、力関係の存在する相手にそれがなかなか伝えられなかったり、コミュニケーションが取れないのであれば怒りは自分一人で対処するしかないと考えたりする人がいても不思議ではありません。


つまり、相手に意見を言った時に自分が安心を確保出来る保証がその場所に確保されていない可能性がある場合において、アンガーマネジメントが自分の怒りを抑圧する方向に向かってしまうのではないか…そんなことを思いました。


でも、そもそも、自己調整(Self-regulation)や衝突解決(conflict resolution)、バウンダリー&アサーティブネステクニックなど気持ちと向き合うための別の言葉やコミュニケーション技術もある中、『アンガーマネジメント』が敢えて紹介されているのは、アメリカでのアンガーマネジメントの成り立ちの歴史を考えると、先入観からくる誤解や、自身に非を感じてしまうような解釈が生まれやすいのかもしれないとも感じます。



何の責任が個人に転嫁されているのか…

従業員が心身ともに疲れ切ってしまうバーンアウトを起こしてしまう大きな原因に、上司やリーダー・組織のマネジメント能力不足と不十分なサポート体制が指摘されています。そして、筋の通らない理不尽で一貫性の無い指揮に、従業員は不満と困惑を感じ、それが無力感にも繋がっていきます。

チームを引っ張っていくはずの指導者の中には、部下の意見を素直に聞けない謙虚さの無い人や、自分の意見を断固として曲げられないエゴイスティックな人、仕事配分が下手な人、または意見の相違を上手くまとめらない指導者に向かない人、上からの意見にコロコロ左右されるイェスマンなどが少なくないではないか。そしてそこに部下が太刀打ちできる術がないのではないか。

わたし自身、日本での自分の人生を振り返ってみると、目上の人に異論をした時にまともに取り合ってもらった経験がほとんど無い、ということに気づいたのです。対等な意見の相違があっても、一般論で諭されたり、一方的に威圧されたり、なあなあに処理されたり…。異論をすると面倒くさいと捉えられるだけで、まともに意見を取り合って改善のための議論をしてもらったことってどれほどあっただろうか…と思ったのです。

効果的な話し合いの仕方を学ばないまま指導者となった人たちが、なんだか良さげな心理介入テクニックを導入し、円滑なコミュニケーションを他人本意で実現しようとしている。そして、職場で出てくる不満に向き合い真摯に取り組むのではなく、代わりにアンガーマネジメントを盾に、職場の不満を個人の自己責任にすり替えているのではないか。

従業員に対処を求める前に、企業全体が見直すことはないのだろうか。アンガーマネジメントを怒りの抑圧と捉えて解釈している人がいる事実に、わたしには、アンガーマネジメントが、そのような上司や組織の怠慢さをカバーするために使われているように感じてしまう部分があるのでした。


おわりに

かなり辛辣なコメントとなり、上司側・組織のリーダーの立場の方の中には不快に感じた方もいらっしゃるかもしれませんし、上記が当てはまらない職場もたくさんあると思います。しかし、わたしが投稿した内容への反応が1万件以上あったこと、そしてそのほとんどが共感のコメントに溢れるものであったこと。それは組織の上層部の方は決して無視できないことだと思います。


また、職場でのうつ病疾患者数の割合がとても多いことや「自分の職場がまさにそうだ」と感じている方も大勢いらっしゃることに、驚きと共に、それだけストレスを抱え悩みながら仕事をしている方が多いのだと憤りも感じています。過労死や同じ職場に2名以上のうつ病疾患の方がいるについて、もちろんいくら万全の対策をしていても、時期や個人の事情などタイミングが重なり2名以上の疾患者が出る職場もあるかもしれません。しかし、慢性的にそれが起きている状態がある場合、その状況はかなりおかしいと思いますし、変えていくべき改善点が個人のメンタルヘルス以上に組織自体に存在していると、問題の根源をシステムに向けることが必要だと思います。


メンタルヘルス全般にも言えることですが、日本では心の問題を個人の問題に置き換えがちで自己責任論がとても強い風潮があります。政府が自己責任を強いる国ですから、当然と言えば当然ですが…。それは、心の葛藤を抱える方にとってとても孤独な社会であり、サポートを求めにくい状況が慢性的に存在していることを説明しています。わたしは、そのような社会のあり方に一番の問題があると感じています。

人間は、共同体を形成し、他人との心の通うやりとりを通じ、安心を感じ癒しを得てきた生き物です。心の問題を個人の問題から、共同体、社会の問題として認識していくこと。そして、一人で戦う状況から、周囲で理解し合い支え合う体制を作っていきたい気持ち。冒頭のSNS投稿への反響の大きさから、そのようなことを改めて強く感じています。


長くなりましたが、お読みくださりありがとうございました。皆さんは、この記事や投稿内容についてどのようなことを感じましたか?ぜひご意見をお聞かせください。



クロスカルチャーコンサルタント・BUNKAIWAのヤスでした。

 

関連記事:

0件のコメント

©2024 by BUNKAIWA.

bottom of page